- JLogos検索辞書>
- 太郎丸とは
「太郎丸」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- amazon商品リンク
太郎丸村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
太郎丸【たろうまる】 (中世)南北朝期から見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
太郎丸(中世) 南北朝期から見える地名越前国大野郡のうち康永2年6月20日左衛門尉師任・藤原親頼の連署奉書によって,渡辺常陸法橋賢覚が牛原荘内の「岩松・太郎丸両名」を忠節の賞として与えられている(浅野忠允氏旧蔵厳島文書)下って大永7年3月11日の洞雲寺隔庵領目録のうちに「作職丁之太郎丸之左近二郎」とあり,この段階では太郎丸が牛原荘丁【ようろ】の小字地名化している(洞雲寺文書/大野市史社寺文書編)以上は牛原荘域の太郎丸であるが,これとは別に小山荘域にも太郎丸という地名があった天正13年12月14日中夾【なかばさみ】専西寺が真宗高田派に帰参した時の門徒総代請書のなかに「〈惣代〉太郎丸二郎右衛門」とあり,同19年6月14日に同門徒が同寺への出入・音信を断つとした起請文では「〈太郎丸村名代〉二郎衛門尉」と見える(専修寺文書)ここに見える連署者はいずれも小山荘域の村々の総代であり,太郎丸村が小山荘域にもあったものと推定されるあるいは古い時代の太郎丸名は大野盆地一帯に散在していたのかもしれないちなみに下庄地区の江戸期の中野村には太郎丸村という枝村があった... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
太郎丸名(中世) 鎌倉期~戦国期に見える名【みよう】の名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
太郎丸村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
太郎丸名【たろうまるみょう】 (中世)戦国期に見える名(みよう)の名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
太郎丸【たろうまる】 糸島平野の東部,瑞梅寺川下流左岸に位置する... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
太郎丸名(中世) 戦国期に見える名【みよう】の名豊後国国東【くにさき】郡安岐【あき】郷のうち国東半島東部,現在の東国東郡安岐町のうちと思われるが比定地末詳太郎丸ともある天文16年11月の宇佐宮神領安岐郷定使給方坪付と貼り合わされ連券をなすが,紙質・筆跡を異にする宇佐宮神領安岐郷坪付に,「一所太郎丸かいめん一段」と見えるのが初見(到津文書/県史料24)天正8年4月12日,田原家の名跡を継いだ大友宗麟の二男親家は,入郷以来の忠貞を賞し,萱嶋美濃守宏次に太郎丸名10貫分を預けたそれに関して翌天正9年4月,木田宏籌・萱嶋頼直が連署打渡状を発給しているが,この史料には太郎丸10貫分としている同年5月23日には田原家の重臣6名が連署し,本領太郎丸名の安堵を賀している終見は天正9年10月18日,萱嶋亀寿に宛てた田原親家家督安堵并恩賞宛行状で,太郎丸10貫分を加恩するとある(大友史料25)亀寿は萱嶋美濃守宏次の孫なお安岐郷には太郎名が存在するが,当名と同一実態を示すものか未詳... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
太郎丸村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
太郎丸村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
太郎丸村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」